沿革









大雄寺(曹洞宗)                              


伊達成実公菩提寺である亘理大雄寺の末寺として、明治二年

伊達邦成公北海道開拓に際し、明治十三年四月、旧家中の懇 

  請もあって住職相神百川が開祖の趣旨を継承し、当地に渡り   

 建立したもので、その経緯を往時の資料によってみれば、亘理

郡大雄寺儀は、慶長の初め安房守伊達成実、安達郡二本松

 より亘理郡へ移住の節信夫郡小倉村陽林寺第四世梵達、信徒

を率い成実の父、兵部太夫実元の霊主を護し亘理郡に至り成

実と協議し大雄寺を新築し伊達氏の菩提となり、280年来永続

罷在候処、明治二年北海道御開拓の御成運に際し亘理郡伊達

邦成旧臣数百戸を率い有珠郡へ移住候に付、住職権少講護相

神百川儀、開祖の趣旨を継述し一同移住一寺新建仕り度志願 

に候得共、戊辰未曾有の大御変革にあたり、大雄寺禄一切没収

に至り・・・・如何様にか維持永続の方法相立申度千思万慮尽力 

の上、漸く維持の目途確定仕候折柄、今般亘理郡より86戸有珠

郡へ移住開拓の御許可を蒙り候輩一同曹洞宗信仰の者共に付、

百川儀自費を以って移住一寺新建曹洞布教御開拓の御成績を賛

成候様支度志願を以て今般跋渉仕候処、先前移住の内、旧檀徒

も多分之有に付協議を遂げ紋別村五五番地のうち、耕地二反歩、

五六番地のうち一反五畝寄付相成、百川自費を以て堂舎一宇新建

し寺号を胆振山大雄寺と称し、亘理郡に之有百川所有之田地二町

五反歩寄付し、維持の一助に相備え、且つ当郡において相応の地所

御割渡を請願し漸次陸田の目途も相立、有珠郡移民のうち新古取

合九二戸の檀徒と相共に力を尽し維持仕つる可く・・・(胆振国有珠

郡紋別江曹洞宗新寺創建の儀願)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー   




   

略このように、明治十三年移住者および従前移住者有志の積極

的な助力と亘理大雄寺住職相神百川の篤志によって、一三年四月

現在地の小院を建立、同年七月十五日、開拓使より正式に寺号公称

が許可され、今日に至っている。現堂宇は、明治三十四年に新築さ

れたもので、現住職は奥村孝善(七代目)である。ーーーーーーーーーーー  





           




明雲閣の襖絵